「まじで仕事やめたい、、、仕事行きたくない。」
「でも、新しいこと始める勇気も実績もないし、今さらやりたいことをする人生なんて。。」
「どうしたら、この我慢だらけの人生から脱出できるんだろう?」
…5年前に僕が自分探しを始めた理由は、そんな情けない、人生詰みな状況がキッカケでした。
どうも!ビビり人間ながやです。
今回は、この「ライフジャーニーキャンプ」の運営者である僕の半生を振り返りつつ、
どん底ゴミ処理バイトから、時給100円の果物歩き売りなどの経験を経て、自分らしい人生に変わるまでの経緯を書いてみたいと思います。
けっこうな長文ですので、興味がなければ、スルーしていただいて構いません。
僕のことをもっと知りたい♪と思っていただければ、
お茶菓子と抹茶でも立てながら気長に読んでいただけたら嬉しいです^^
長谷悠司(ゴロウ)とはどんな人間?
改めまして、ライフコーチをしている長谷悠司です。
人の才能を見るのが大好きです。
1984年生まれの現在37歳の男。
顔が昔、稲垣吾郎さんに似ていたことから、ゴロウというニックネームでも活動してます。正直、今全然似てないので、恐縮です。
僕はいま現在、ライフコーチをしながら、自分らしい人生を送りたい人を応援するコミュニティを運営し、この自己理解のブログ以外にも旅ブログの運営をしております。
・個別コーチング
・旅ブログ「夫婦無職で世界一周」運営
ライフコーチという仕事
本業はライフコーチです。
ライフコーチという職業が聞き慣れない方もいるかと思いますので、簡単にお伝えすると、
ライフコーチとは、「より良い人生の実現のサポートをするお仕事」です。
めっちゃ抽象的なので、いつもどんなことをしているのかというと、
継続的にクライアントさんと話す時間を取り、クライアントさんの大切なことを引き出し、それを生かした仕事やライフスタイルの実現を一緒に考えていくことをしています。
実は、コーチの資格だけでなく、教員免許を持っていたり、ブログのコンサル・講演活動をしたりと、なんだかんだで教育というジャンルに精通して10年近く経ちます。
好きなんですよね、人の才能を見つけるとか、人の潜在能力を伸ばすとか。
でも、ぶっちゃけ僕は人の人生をサポートするとは程遠い人生を長く歩んできました。
人生のどん底で、ストレスで心身ともに限界だった日々
今では、毎日時間を気にせず、起きたい時間に起き、毎週のように大好きな旅、キャンプ、登山に行く。
そんな生活ができるようになったゴロウですが。。。
冒頭にも書いた通り、ほんの5年前までは人生のどん底に沈んでいました。
自分らしさのかけらもなく、
自分のやりたいこともわかんないし、
行動を起こしていく自信も勇気もなかった僕は、
心も体もボロボロな不健康な日々を送ってました。
元々アトピー持ちだった僕は、夜も眠れず、朝はボロボロの状態のまま仕事に行くことも。
全然好きになれない仕事をしている時は、やるべきことから逃げ出すかのように、車の中でひたすらYouTubeで自分の気分を上げてくれる動画ばかりを見ていました。
当然ながら、長い間、憧れの人を遠くで眺める傍観者の状態が長く続いていました。
もちろん、そこに、自分らしさのかけらなんてありません。
あのままだったら、僕はたぶん、心と体の病気を抱え、一生後悔する人生を送り続けていたと思います。
人生のどん底から救ってくれたのは、”奥深くに眠る心の声”だった
でも、結果的には、僕は健康を害することなく、うつになることもなく、毎日夫婦で幸せに生きています。
もちろん、不安や辛いことはゼロではないですし、今の幸運が長く続くとは限りません。
変化の目まぐるしい世の中で、絶対はないですからね。
しかし、今の僕には、自分と向き合い続けた時間と、自分の手で自分らしい人生をつかみ取ったという自信があるので、
これから、世の中がどんな状況になろうと、周りに振り回されることはありません。逆に今は自由気ままに生きすぎて大丈夫か?という具合です(笑)
ここ数年、自分と向き合う中で、僕の人生を救ってくれたのは、自分の奥深くに眠っていた”心の声”です。
心の声と言っても、自分で分かるようで、意外に分かっていなかったりするもの。
情報の多い中、日々仕事に追われる忙しい毎日を送っていると、大事な声に気づけなかったりするんですよね。
そんな忙しい状況を言い訳に、今までは大事な声を見てみぬふりをしていました。
しかし、この心の声にそっていくことで、僕の人生は180度変わりました。
幸福度も年々高まり、毎日の見える景色や考え方も劇的に代わり、周りの仲間にも恵まれるようになりました。
でも、僕はもともと特別な才能を持っていたわけではなく、
何からどう始めていったらいいのかもわからない、心構えも、自信も全てない、ただの普通の人間だったんですよね。
マジで自分でも笑っちゃうぐらいのダメ人間だったんです。
。。。何が言いたいかと言うと、
人間というのは、心の声に素直に信じて行けば自分らしく生きられる生き物なんですよ。
だから、いまこの記事を読んでくれているあなただって変われるはずなんです。
僕はそれを手助けするために、
かつての僕のような人生に絶望する人間を1人でも多く救うために、
ライフコーチとして、旅人として、日々活動しています。
著者の半生
出生から小学生まで
1984年に愛知県で生まれました。
父は公務員、母はパートをする主婦。3人兄弟の真ん中です。
真ん中ということもあって、昔から上手に周りに合わせる性格でした。
保育園の記憶はわずかですが、とにかく乾布摩擦と跳び箱が嫌で、保育園に行きたくないと泣き叫んでいたのをよく覚えています。
今でも寒さと跳び箱はちょっと苦手ですw
小学生のころは、周りに合わせてしまう優等生タイプの少年でした。
学級委員をしたり、生徒会の副会長をしたりそんな真面目な一面もあったんですが、
自分がやりたいと言うよりは、周りのみんなが推薦してくれるから。
自分の意見というよりも、周りの意見を大切にする。
そんな幼少期を送っていました。
授業後には、クラスメイトから、わからなかった部分を教えてほしい。と言われることが多く、その時から人に何かを教えることが好きだったのかもしれません。
あとは、運動が好きだったので、よくサッカーをしたり、なんかよく走っていた記憶があります。(意味もなく走るって今思うと謎すぎる。)
学校の帰り道になぜか、平日の15時頃にもかかわらず、父がランニングしながら反対側から声をかけてくれたので、友人はみんな父のことを知っている。
そんな環境で小学時代を過ごしました。
運動好きと父の影響あってか、「夢はマラソン選手になること」と作文を書いた覚えがあります。
わりと健康な体で生まれたと思っていたのですが、小学6年生頃から、アトピーが出てきました。
それから、自分の見た目を気にしてしまう性格が徐々に作られていった気がします。
勉強と部活に明け暮れた中学・高校時代
中学では卓球部に所属していました。
中学でもコツコツと勉強に励んで、学年で1位になったこともあります。はい、自慢ですw
夢はヒッチハイクで旅をすること。
完全に当時大人気だったテレビ番組「電波少年の猿岩石ヒッチハイク旅」に影響を受けてます。
そして、「いつか世界一周してみたいな。」と海外の未知なる場所への憧れが強く出てきます。
この時から、冒険することに惹かれ始め、旅人ってカッコいいなと思うようになり、
そんな冒険人生を歩みたいということが、中学の卒業文集からも感じられます。
高校は県内の公立高校に。選んだ基準は、「自由な校風っていいな。」という安易な考え。
もう一つ、そこに行きたかった理由は、田舎からちょっとでも名古屋に近づくこと。
そして、定期券が手に入るというおまけ付き。
田舎ものらしく、ちょっとでも都会の風を感じたいという欲求がありましたw
小学校と中学校までは、なんだかんだで目立つ学級委員や生徒会をやっていたわけですが、
高校からは、キャラの強い人たちに囲まれ、しかも勉強にもついていけなくなり、それが理由で「自信も自分らしさ」もなくなっていきました。
テストでは、クラスで下位1割に入ることも。人生の挫折をここで初めて味わいました。
赤点を取ってしまう勉強なんてものに興味もなくなり、学校の帰りには、よく古本を買って、別のところで売る、「転売」を友人と楽しむ毎日。
お小遣いが少なかったからか、「自分でお金を稼ぐこと」にちょっと興味を持ち始めてた、そんな高校時代。
大学のセンター試験ではまさかのマークシートの書く場所を間違えるという痛恨のミスをしてしまい。。。公立大学への進学を諦めました。
正直なところ、大学に行きたい理由もなかったんですが、とりあえず無難だと思える大学進学になんとなく進んでいきます。
大学デビュー。旅とバイトに没頭する日々
大学は何となく、英語系がいいかなとか思って、私立の外国語大学へ。
親にも先生にも怒られることもなくなり、自分のやりたいこと(特にバイトと旅)に没頭する。
3つのバイトを掛け持ち、朝はコンビニ、昼は8時間アパレルショップ、夜はラーメン屋で働くというように、一日中働いてました。
で、その働いたお金の使い先は、オシャレな自分になるため、栄のパルコで洋服代にお金を投入。
自分に自信がないことを隠すかのように、ファッションで自分というものを着飾っていました。
旅にもよく出かけました。
青春18きっぷという電車乗り放題のチケットで日本各地を旅したり、ずっとやってみたかったヒッチハイクの旅も決行!
無事、ヒッチハイクで日本を縦断することができました。(猿岩石同様、一部電車やフェリーを併用という、ちょっとした逃げもありつつ。。。苦笑)
遊ぶことには、それなりに満足はしつつも、仕事においては、特別やりたいこともなく、就職活動は難航。
友人はバンドマンとして夢に向かって頑張っていたり、警察や、商社など、自分の道に進んでいく友人を横目で見ながら、
将来のやりたいことに向かっている友人が本当に羨ましかった。
大学生活も終わろうとしている中、いまだに自分の意思というものがない。
そんな青春時代を過ごしました。
就職。ストレスだらけの職場環境に心身ともに限界が来る
僕が就職活動をしていたころは、いわやる就職氷河期という時代。
そんな時代だったにもかかわらず、なんとも偶然に講師をする機会を得られ、そのまま教員生活へ。
教えることは大好きでそれなりにやりがいはあったんですが。。。
毎日朝5時に起きて家を出て、帰るのは夜中12時を超える日々。
土日は部活で自分の自由な時間なんて全くなし。
正直もう自分の心と体は限界を迎えていました。
給料も聞くところによると、年齢×1万円ぐらいだし、休みの日はやりたくない仕事に追われる。
このままでは自分がやってみたい世界を旅することも、お金をたくさん稼げるわけでもない。
ここで一生を終えるより、もっと自分にできることがあるはず。そう思って、独立を目指す道へ一歩進んでみることに。
無知すぎて、お先真っ暗になった「ゴミ処理バイト時代」
独立の一歩を踏むため、デザイン関係に興味があったので建築関係の仕事につきます。
当時学校にも行かず、独立が可能なインテリアコーディネーターになることを目指します。
「将来は独立を目指している」ことも社長に事前に伝え、気分一心、新しい生活がスタートしました。
仕事を始め、「結果をだしてやるぞ!」という自分の思いとは裏腹に、会社の車で事故をたて続けにおこし、社用車を2台も壊すという大失態をおかします。。。
(ちなみに、2トントラックのフロントガラスが崩壊しました笑)
そんな自分への自信のなさを上増しするかのように、自分の仕事は、誰にでもできる雑用。
毎日、焼却炉に廃材やプラスチックを入れるゴミ処理仕事をしながら、現場に必要な木材を運ぶ日々。
将来につながりそうな新しい仕事も任せてもらえず、パッとしない生活が続く。
正直、こんなことをやるために、俺はこの仕事をしたわけじゃない。
「そうだ!社長に他の仕事をやらせてください、と伝えよう!」
そう思い、社長に告げると、
「独立したいヤツに会社の大事な仕事は任せられない。」
「将来ライバルになるかもしれないヤツに、普通、大事なことなんて教えられるか?」
そう言われたんですよね。
「なんだこの社長。終わってんな。」と正直その時は思いました。
けど、「このままでは本当にやばい。」「自分の人生変わんないぞ。」
そう思ったんですね。
周りを見れば、愚痴と悪口だらけの人間関係。
給料に文句を言いながらも何も変えようとしない人たち。
ふと我に変えると、自分も同じ思考、行動をしていることに気づきました。
そんな時に、東日本大震災が発生。
先の見えない不安で押しつぶられそうになりながらも、
「このままじゃ本気でヤバい。。。」マジでどうにかしなきゃと、
求人サイトを毎日のように眺め、次なる働き先を探しました。
見つけたのは、独立支援をする会社。果物の歩き売りをする会社でした。
もがきながらも前向きな仲間と出会う「果物歩き売り時代」
ワラにもすがる思いで入った果物と輸入雑貨を扱う会社。
正直、怪しい職場。ホワイトボードを囲み、代表者が意気揚々とプレゼンし、みんな「ウンウン」と口を揃えながら、勉強している。
今思えば、コントに出てきそうなほど、明らかに変な職場です。
自分を変えようと思い入社したものの、この怪しい空気感には当初、違和感しかありませんでした。
そんな怪しい職場で働いていることを友人に話すと、
「そんな普通じゃないことは絶対辞めた方がいいよ。」と、みんなから口を揃えて言われました。
周りの意見が気になってしまう自分には、その言葉がしばらく気がかりでした。
それでも職場の雰囲気には何か魅了されるものがあったんですよね。
理由は、みんな自分の夢を持っていたこと。
そして、それを否定する人が一人もいなかったこと。
ここで頑張れば、きっと自分も成功できるはずだと思い、毎日果物を売るため、昼も夜も歩き回る日々を過ごしました。
遅い時は終電を逃して、夜道を自宅まで2時間かけて帰ることも。
用意された寮では6畳で3人寝る、貧困、雑魚寝生活。
今考えても、おぞましい毎日を送っていたなと思います。笑
一人では、3日と持たなかったであろう下積み時代も、切磋琢磨した仲間がいたからこそ、頑張り抜くことができました。
正直、胸を貼ってカッコいいとは言えない果物行商のその後は。。。結局独立に至らず。
しかし、続くインターネットの訪問販売の仕事では、長いこと培った営業力に磨きがかかり、自分の力で生活ができるようになりました。
気づけば、果物時代に時給100円にも満たなかった自分が、月収120万円を稼げるまでに。
職場の環境にもそれなりに恵まれ、自分の欲しいものも手に入り、楽しい日々は過ぎていきました。
しかし、喜んでいるのも束の間、ふと自分を振り返ると、自分が夢にまで見た成功がそこにはなかったんですね。
営業成績No1、月収120万円を手にしても、自分の心はどこか納得がいってませんでした。
そんな時、仕事をさぼって雑誌を立ち読みしていると、ふと自分の心の声が聞こえてきました。
もっと、「自分のやりたいことやった方がいいんじゃない?」と。
小学生の時、サッカーと走ることに夢中になってたこと。
中学生の時、猿岩石のヒッチハイク旅に感動したこと。
高校、大学の時、やりたくもない勉強そっちのけで、友人と遊ぶことに夢中になったこと。
周りの人たちに馬鹿にされ、悔しい思いをしながらも果物を売り歩き、自分の力で人生を突き進んできたこの5年間を振り返ると、仕事を辞めるという選択に、不思議と迷いはありませんでした。
心の声を信じ、夫婦で世界一周の旅へ
長いこと身を置いていた、営業の世界。
割と得意な接客の仕事で、成績もトップ。給料も納得のいく金額。
でも、それを手放してでも、自分がやりたかったこと。それは世界一周でした。
妻にも自分の気持ちを話し、「自分たちで自分らしい人生を0から始めよう。」そう覚悟を決めました。
正直、自分一人だけの力では踏み切ることはできなかったと思っているので、妻には感謝しています。
夫婦で始めた、世界を旅しながら、ブログを書く毎日。
ありがたいことに、旅ブログは、月間9万PVにまで到達し、旅や好きなことで生きることをテーマにした講演活動をするまでになっていきました。
妻は動画クリエイターとして、僕はライフコーチとして、
遊びと仕事の垣根のない大好きな仕事とライフスタイルを手に入れることができるようになりました。
今までの半生を振り返った時に、
・自分の人生が変わっていかないのを、もしも人のせいにしてたら。。。
・自分の可能性を信じずに、もしも挑戦しなかったら。。。
・「周りに迷惑をかけるから。。」と、自分のやりたいことを諦める毎日を送っていたら。。。
そう思うと、今の自分はどうなってしまってたんだろうと本当に思います。
ここまで読んでくださった方には、分かって頂けたかと思いますが、
僕も元々は、周りに合わせてばかりで、自分のやりたいこともなく、自信も勇気もなかった本当に普通の人間でした。
それでも、まるで別世界に来たかのように、毎日を過ごせているのは、以下の4つのことをしてきただけです。
・心の声をしっかりと聞くこと
・その声に素直にしたがって、小さな一歩を踏み出すこと。
・自分らしい人生を描き続けること、諦めないこと
・夢を応援し会える環境に身を置きつづけること。
これは、どこの誰にでも通じる、今すぐできる「夢を実現する法則」です。
そして、その中でも僕が最も重要だと思うのは、
周りに合わせてやるべきことを決めるのではなくて、「自分の心の声を聞いて、その声を信じて進んでいく」ことだと思います。
僕みたいな周りに合わせてしまう人を一人でも救いたい
僕は、このブログや、ライフコーチという生き方を通して、
かつての自分自身のような、
「今の仕事や生き方を変えたい人」
「自分らしさを大切にした人生を送りたい人」
「何からどう変えていったら良いのかわからない人」を
僕が経験した全てを使って、一人でも多く救いたい!
と思ってます。
なぜなら、同じ境遇の方に、あんな辛くて悲しい思いを何年も続けてほしくないからです。
そのための方法を僕は知っていて、たくさんの人の人生を変えられる能力と経験を持っているからです。
そして、そのことが何よりも、僕自信の収入と幸せに直結しているからですね。
キレイごとでもなんでもなく、本当にそう思っています。
さて、お気軽に書くつもりが、とてつもなく長いプロフィールになってしまい、誠に恐縮です。
最後までお付き合いいただき、本当に感謝です。
ありがとうございます^^
あなたの人生のサポーターとして、関わらせていただくことを楽しみにしております。
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