[voice icon=”https://yujinagaya.com/wp-content/uploads/2018/11/a76ee1eab20ab9b86002981d884446e6.jpg” name=”ゴロウ” type=”r big”]どうも!瞑想大好きゴロウ(@havefun_goro)です![/voice]
今回は瞑想合宿7日目の記事です。
前回は「嫌悪とチョコと悪夢と向き合う」というとんでもない1日だったんですが、7日目も衝撃的な1日になりました。
僕にとって、アディッターラ(決意の時間)の初日以上に、このヴィパッサナー瞑想7日目が一番の山場だったように思います。
今回は何か起きるのか?
瞑想7日目です。
それではどうぞ!
【アディッターラについて】
>>【瞑想4日目】ついに本格的な修行「アディッターラ」がスタート!
【前回のチョコを食べないと決めた日の話】
>>ヴィパッサナー瞑想6日目。嫌悪とチョコと悪夢と向き合った日。
[aside type=”warning”]注意
ヴィパッサナー瞑想中は、メモ書きや携帯電話の使用は一切禁止されています。ここに紹介している内容は、僕自身の経験と記憶を頼りに書いているものです。
実際の写真ややり方、日付感覚、知識とは違っている可能性がありますのでご了承ください![/aside]
悪夢も、つまりは「アニッチャー」ということ
相変わらず続く寝れない日々。
しかし、この日からパタリと悪夢がなくなりました。
5日目に先生の言った通り、悪夢も「生まれては消えていく。」ということなんでしょう。
この「生まれては消えていく」(アニッチャー)という法則は何にでも当てはまるようでして、
どんな苦痛が起こっても心の中でこのことを忘れられれば、気楽に生きられそうな気がします。
【ヴィパッサナー瞑想5日目】
>>アディッターラ〜決意の時間の怖さの真髄を知った日〜
ついに痛さに慣れてくる
足の痺れもやり始めた当初から考えると、こんなに変わるの??ってほど、痛くなくなってきました。
正確に言うと、痛くないと言うよりは、痛みを感じづらくなってきている感覚に近い。
アディッターラに対するストレスも少しづつなくなってきたので、夜の悪夢もなくなったのかもしれません。
驚いたことに、こんな僕の状況を先読みするかのように、講話の中でこんなお話がありました。
[voice icon=”https://yujinagaya.com/wp-content/uploads/2019/10/theravada-buddhism-1760257_1280.jpg” name=”テープ講話のゴエンカ氏” type=”l big”]
そろそろ夜が眠れないなんて方もいるかもしれません。ですが、安心してください。
それは心と体の不純物が出て行ったからで、驚くことではありません。
寝れないと言って焦る必要もないです。
目を瞑って、体を安静にしていれば、それで心と体は休まります。それで寝たのとほぼ同等の効果が得られますよ。[/voice]
と、確かこんな感じのことを言われました。
さすがに、「どこまで自分たちのことを先読みしてるんだ??」と笑いそうになりましたw
微細な感覚って何?うまくいかない悔しさ
この日も身体中の感覚に目を向けるわけですが、その中で出てくる用語「微細な感覚。」
「微細な感覚」って何なんだ?と思うわけですが、いつもこんな感じに新しい用語が出てくる度に、それって何??ってなります。
この7日間、言われた通りにやることで、ここまで瞑想法を習得し続けてくることができました。
しかし、この「微細な感覚」だけはどうしてもわからない!!
「全身に流れるような感覚があるかもしれません。」と言われても、
何が流れているんだ???と頭の中は困惑。
1つわからないことがあると、僕はそのことが気になって気になって。
そしてうまくいかないもどかしさから、心の中に少しづつイライラと焦りが溜まっていきました。
両親、兄弟、嫁、友人の顔が次々と浮かんでくる
頭で考えてもわからない「微細な感覚。」
皮膚の感覚を研ぎ澄ましても全然感じない「微細な感覚。」
なんなんだ!「ビサイナカンカク」って。。。
どうにもこうにもうまくいかない僕は、初めて瞑想の時間中に外に散歩に出かけました。
アディッターラの時は、ホールの外へ出ることは禁止されていて、普段の瞑想中はホールもしくは、自室で瞑想することになっています。
なので、休憩時間以外は基本的に瞑想にとりくんでいたわけですが、この日ばかりは、もう嫌になって外でぼーっとすることにしました。
▲宿泊していたドミトリー
そしたら、同じように、ぼーっとしている参加者もいて、「気持ちわかるよー!!」って勝手に共感。
で、何をするわけでもなく、ただ流れいく雲をぼーっと見つめては、
雲の、生まれては消え行くその様を眺めていました。
その時、ふと自分の心に降りてきたのは、今までの自分の人生のことでした。
今日は瞑想がうまく行かなくてイライラして。
もともと、瞑想やりたくてここへ来て、うまく行かなかったらイライラして。
今までの人生も振り返ると、お腹が空けばお腹すいたーって文句言って、
仕事もプライベートも自分にやりたいようにやって、うまく行かないときはダダをこねたり、周りに迷惑をかけたり。
そうやって今まで自分の欲望のまま生きてきたんだろうなー。
そんなこんな考えていると、
両親、家族、嫁、友達の顔が次々と浮かんできた。
今までの人生でたくさんお世話になってきて、ちゃんと感謝しなくちゃいけないし、謝らなきゃいけないこともある。。。
あぁ、俺って本当に勝手だな。。。
なんて自分勝手に生きてきたんだろう。。。
そう思うと、泣けてきた。
少しぐらい、自分の欲望を抑えて生きてみよう。
そう思ったわけです。
ひとしきり、気持ちも落ち着いたあとは、
「微細な感覚?うまく行かなくたって別にいいじゃん。求めすぎるから辛くなるだけじゃん。
だったら、うまく行かなくてもいいから、微細な感覚とかじゃなくて、自分のできる限りの集中でやってみよう。」
そう心に決めました。
その後はフルーツタイムで、いつもなら自分のお腹を満たすことだけを考えて、そのまま食堂へと向かう道をひたすらまっしぐらしてました。
でもその道を見た時、ひたすら「欲」を求めて向かう参加者の列。
▲この道が食堂へとまっすぐに繋がる一方道
自分はいつもあんな感じに何も考えず、自分の欲のことだけを考えていたのかと思うと自分でゾッとした。
そしたら、自然と食堂には向かわず、まずはゆっくりとトイレに行き、食堂についてもいつも食べる果物の量を半分に減らしてみようと、自然と行動してました。
お腹は空くけど、さっきまでの欲しか頭にない自分になるよりマシだ。
そう思うと、全然苦にはならなかった。
ここへきて初めて、食べ過ぎについて真剣に考えるようになった。
つづく。。。
【合わせて読みたい】
>>【瞑想8日目】微細な感覚をつかんだその後に起きた奇跡。